〝愛〟より〝恋〟だろう?

哲学, 工藤シンクの世界, 男女

〝愛〟こそ素晴らしい、〝愛〟こそ全て!

それこそみなが叫び求める本質。

そう、偏りなく全てを許容し、エゴなくゆきとどく〝愛〟こそが至上、全てが〝愛〟に満ちています。

…あれ? 、、、ならば大事なのは〝恋〟のほうではありませんか?

 

〝恋〟はエゴゆえ

〝愛〟こそ高尚、〝恋〟は執着が絡むエゴであり………というようなことはよく語られます。
確かに〝恋〟は個人的で感情的、特別視や偏りに満ちているのかもしれません。

しかし、とすれば、僕らを人間的にし、人生の味わいを醸しているのはむしろ〝恋〟のほうではありませんか?

特別な人、特別な物、特別な想い、、、

ときめく色、お気に入りの靴、好きな音楽、こだわりのレシピ、ワクワクする予定、、、

他とは違う存在、特別な〝何か〟、、、

 

それらをそうさせている感情を〝恋〟とするならば、むしろ〝恋〟こそが全てともいえるほどに!

 

〝愛〟がジャッジや隔たりなく〝全て〟に満ちているとするならば、それは大いなる『どうでもよさ』ともひとしくて。

〝恋〟もいつしか醒めゆき、うつろい、、、全てが溶けて、ひとつの〝愛〟に集約されてゆくならば、、、

 

なにせ、この人生の個人的な味わいを……〝恋〟をたっぷり味わいたいものですね!

 

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