全ては完璧、〝ひとつ〟でしかない! という科学的な根拠

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どんな〝科学的な証明〟もある側面からは否定もできるものですが、どんな科学者も『これだけは絶対だ』とするのが[エネルギー保存の法則]です。
それもそのはずで、科学や物理学が共通の文脈で何かを立証できるのはこのガイドラインがあってこそであり、この絶対的な大前提を否定したら〝科学〟自体が成立しなくなってしまうほどの基本法則だからです。

[エネルギー保存の法則]とは『エネルギーの総量は一定不変である』という、運動・熱・音・光・電気・磁気・化学変化・質量…ありとあらゆる自然現象を支配する基本法則なのです。

簡単にいえば、

どこかで火が燃えたら、どこかでそれ相応のコトが起き、、、
どこかで水が蒸発したら、どこかでそれ相応のコトが起き、、、

、、、というようなことが全て相関していて、全体としてのエネルギー総量は変わらないということ。

つまりは大自然の事象も、僕らの日々の生活も、最先端テクノロジーも…ありとあらゆる全てが[エネルギー保存の法則]の中で起きているということになります。
『ガソリンが発火しエンジンがピストンしタイヤが回転して自動車が移動しママがお買い物にいく』というようなこと全てにおいて。
エンジンの熱、タイヤの摩擦、排出するCO2、ママが家族の健康と家計をふまえ特売のサバをチョイスし、その愛情料理が家族のカロリーとなり、、、など……森羅万象なエネルギーが複雑に巻き起こり絡み合いつつも全て相関し、それらのエネルギーの総量は一定不変ということですね。

つまり!

どこかで誰かが産まれたら…どこかで誰かが死んだら…それ相応のコトが起き、、、

どこかで誰かが恋をしたら…それ相応のコトが起き、、、

とにかく『全体のエネルギーの総量は変わらない』ということです。

燃え上がる恋の三角関係で嫉妬が渦巻いたり、しかし愛は育まれ子供が産まれたりと…因果応報、作用と反作用を含めた様々な事象が相関して巻き起こるのは世の常ですが、全体のエネルギーの総量は調和していて何も変わらないということ。
(人間の情念や魂・生命のエネルギーに関してはまだまだ『科学的に』は解明されてないので、計り知ることもできませんが)

………なにせですよ。

ならばこの宇宙は始まって以来ずっとエネルギーが変わらず等しいということです。
、、、ビックバンから今にいたる過去も、現在も、そして未来も、全体エネルギー的には何も変わらないということですよね!?

大宇宙視点でみたら、何かが増えるわけでも減るわけでもなく、損も得もネガティブもポジティブも陰陽もなく、いつだって完璧に調和しつつエネルギーが相関推移しているだけの世界ということですよね。

ミクロ視点でみてもマクロな視点でみても、宇宙は〝粒〟と〝エネルギー〟のミックススープみたいなものですし。

その観点でいうと[時間]も[空間]もなく、[私]も[あなた]もなく、この世界は調和しつつエネルギーが移動をしているだけです。

逆にいえば、むしろ宇宙は[私]の味わいでしかなく、[分離]させたモノゴトと[時間]という変化でしか語れないとさえいえます。

…もはや禅問答ですが。

なにしろです、

誰かがクシャミをしたらそれに相関して…どこかで戦争があればそれに相関して…どこかの星が消滅したらそれに相関して……何かが起き、全体としては調和している。

 

全ては繋がり、循環・相関・バランスしつづける、ひとつでしかない。

僕らはもともとひとつでしかないこの世界で、〝違い〟を楽しむ道楽者なんでしょうか?
むしろ〝違い〟として設定し、切り離さないと存在すらできないので、僕はそれを『分離道楽』とよぶことにしました。

そしてむしろ〝科学的な証明〟こそも『分離道楽』そのものですよね、はじめから〝ひとつ〟でしかないとわかっていた世界を明確に切り分けてくれる、人間の道楽の極み。

 

さて、もともと『世界はひとつ』でしかないならば、それをひとつの言葉でまとめてしまえもするはずです。

個人的には〝愛〟の一言がピンときます。

 

全ては〝愛〟!

それでいいじゃないか、というお話でした。

 

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◉で、〝愛〟をこう解釈してみる

 

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