『ありがとう』の無い世界
オーストラリアの先住民、アボリジニには『ありがとう』という言葉がないそうです。
アボリジニたちは共同体として〝ひとつ〟で生きているので、助け合うのは当たり前であり、『わたしのもの』『あなたのもの』というような所有の概念もないということなのです。
まさに〝個にして全、全にして個〟という世界観ですね。
これはもちろん、そこに感謝がないわけではなく、感謝しかないということでもあるのだと思います。
感謝が当たり前なのだと。
日本の『ありがとう』はどうでしょうか?
日本人にとって『ありがとう』は、感謝と想いを伝えるとても大切な言葉であり、挨拶です。
日本語の『ありがとう』の語源は『有り難い』からきています。
有るのが難しい、つまり『有り得ない』ような事に対する言葉。
ここで興味深いのは、日本語の『ありがとう』の反意語が『当たり前』だということです。
『有るのが難しい』ことの反対ですから、『あって当然』ということになるのでしょう。
これって、めちゃくちゃ面白いですよね。
アボリジニにとっては『ありがとう』が『当たり前』であり、その言葉や概念すら存在しない。
日本人にとっては『ありがとう』は、とても特別なもの。
ある意味真逆ともいえるマインドセットと文化です。
■ というわけで、『ありがとう』を使わないでみた
実を言うと、僕も『ありがとう』にちょっとした違和感をもって生きてきたひとりです。
というのは、誰かに何かをした時に『ありがとう!』と言われると、なんだかこそばゆいというか、、『わざわざ言わなくていいのに』と感じることが多いので。
当たり前のことをしているのに特別扱いされると、なんだか壁ができてしまうような気持ちになります。
もっと空気のように、当たり前のように、 お互いが喜ぶことをしあいたいという想いがありました。
アボリジニに『ありがとう』がないことを知って、「それはいいな」と、僕は数年間『ありがとう』を使わないで暮らしてみることにしたんです。
『ありがとう』を言わない代わりに、喜びや感謝の気持ちを『イエイ!』という発音で表現することにしました。
めちゃくちゃ嬉しい時は、『イエ〜〜〜イ!!!』と!
ちょっとだけ嬉しい時は『イェィ』くらいの軽さで、というように。
そしたら、それでも『ありがとう』といってしまうケースがふたつあることに気づいたんです。
ひとつは『ありがとう』が本当に自然にでてしまうケース。
本当に有り難い気持ちになると、意識せずとも『ありがとう!』という言葉がでてしまうんですね。
もう、これは、本当に滲み出てしまう言葉といいますか。
もうひとつは、、『ありがとう』といわないと怒る人と向き合った場合、です。
『ありがとう』と言わないと怒るタイプの人というのはいて、そういう人とのやりとりでは、挨拶や社交辞令として『ありがとう』を言う必要がある。
人になにかをしてあげて『ありがとう』がないと怒るとはどういう心情なんだろう? とも思いますが、もちろん感謝は伝えたほうがいいし、円滑な社会生活はそうやって営まれているともいえます。
どちらにしても、せっかくある『ありがとう』という言葉と文化なんだから、出し惜しみすることもないですよね。
今では、気軽に『ありがとう』と伝えるようにしています。
■ 『ありがとう』を大切に
僕らは日々、当たり前のように『ありがとう』を使います。
全てが当たり前のように有り難く、奇跡と感謝に満ちるこの世界で。
『ありがとう』という、素晴らしい気持ちと言葉。
その本質をみつめなおしてみるのもまた、味わい深いのではないでしょうか。
