人生が変わる、〝雑草食〟のススメ (ドングリ最強!)

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僕はこの1年ほどは特に、〝野生のもの〟を積極的に食べるようにしてきました。
ジビエな肉、天然の魚、採取した海藻や貝…などはやはりエネルギーが違いますが、なにより特筆すべきは〝雑草〟です。

雑草、、、まさに『その辺にある草』。

目にとまった目の前の草を摘んで、そのまま口にする。
これを日常的にすることで、大きな気づきとが変化がありましたので、お伝えします。

(全てが立派な草々なので〝雑草〟という表現は適切でないながら一般的には〝雑〟とまとめてしまうモノへの価値変換を旨とする記事となりますので、あえてそう表現させていただきます)

 

雑草食のきっかけ、そして…

野草食などの文化はある程度 確立されていますが、僕の今回の着眼点と行動原理はそれとはちょっと違います。
そのきっかけ自体も大事ですので、まずはそこから。

僕はコーヒーが大好きなのですが、ある日、サイハテ村 の小さな子供たちが「飲ませて!」とせがんできたんです。そこでなんの気なしに子供たちにコーヒーを飲ませたところ…「にがい、まずい!」と吐き出すじゃないですか。
ん? たしかに冷静に考えると確かにコーヒーは苦いし不味いもの? 僕も子供の頃はそう感じていました。
『〝性欲〟すらも多分に後天的に植え付けられたもの』とすれば、〝味覚〟もそのようなものなのかもしれません。
たしかにコーヒーやお酒、薬味や珍味などの〝大人の味〟とされるものの旨さは、後天的に育まれたものでありそうです。
特にウイスキーなんてのは、僕にはいまだ旨いのかまずいのかよくわからない領域ですが、、確かに、味わい続けてきたことによる蓄積から『旨い』をみいだしているのは間違いないです。

そこで僕は、改めてそこを見直し探求するために、左脳を遮断した感覚状態にチューニングしたうえで『野性動物のように色々なものを食べてみる』という実験と実践をはじめることにしました。
例えば僕の飼っているヤギなどをみても、その時その都度で食べる草が違うし、絶対に食べない草もあります。〝野生〟のチューニングから、それを見極めているのは間違いありません。

『ピンときた目の前の雑草をそのまま口に入れ、味わってみる』ということをはじめていくと、、、
やはり生の雑草は青臭く、えぐさや苦みが強く、固かったり毛羽立ったりもしていて、左脳で解釈するならば『不味い』ものです。
しかし感覚と右脳のみで味わうならば、それらは体感的な刺激であり、パワーそのものでしかありません。
あえて言葉を当てはめるならばそれは『すごさ』であり、それらの味わいは『すごい』でまとめられます。
その『すごい!』は『生きてる!』と同質の体感であり、すごければすごいほど『生きてる!』という実感をともなうわけです。

そうやって日々様々なものを食べ、味わっていきました。

特別で面白い体感としては、、、

例えばどんな雑草でも新芽はたいてい普通に美味しいものです。旬の山菜や春の七草などは、人間的にもそのような文化として定着していますよね。逆にいえば、畑の野菜だってタイミングを逃せば食品としての価値を失いますから。

例えばアジサイの葉っぱを食べたら、、、もう、受け付けないんですね、心身が全力で拒絶する。後で知ったのですが、アジサイの葉は危険な毒なんだそうです。そりゃそうなります、そんなもの受け付けるわけがないんです。

例えばローズマリーやカモミール、世間のいう〝ハーブ〟を食べたら、、、雑草と同じじゃないか! と。それはそうで、実際『強烈なすごみを持った個性的な野草』を〝ハーブ〟として珍重しているわけですから。

例えばチョコレートなどの甘いお菓子を食べたら、、、ほっぺたがドロンと溶け落ちそうな感覚に襲われます。『ほっぺたがおちる』という表現はそういうことか! と、改めて味わうことができました。

こうして〝味わい〟を、ひとつひとつ、様々なものでやり続けていきました。

みんなそれぞれに『すごい!』をもっています。

そして、いよいよいきついたのが〝ドングリ〟だったわけです。

ドングリこそ一番『すごい!』

なんの気なしに落ちていたどんぐりを口にいれ味わってみたところ、、、これがすごい、すごすぎる!!

苦いわ、えぐいわ、アクが強いわ、口当たり悪いわ、、、ダントツで『すごい!!!』
左脳で解釈するなら、恐ろしく不味い!!
右脳で解釈するなら、ダントツでパワーがある、、、すなわち、ダントツで『生きてる!!!』感に溢れています。

狩猟採集生活をしていた縄文人はドングリを常食していたそうですが、それも納得です。
食材の選択肢が限られ、砂糖や醤油などの調味料もなく、調理器具も調理方法も乏しかった当時、、、野性動物のように素材をそのまま味わうのが通常とするならば、ダントツで『すごい!!!』『パワーある!!!』『生きてる!!!』を味わえるドングリこそが、、、ダントツで『美味い!!!』ということだったのではないでしょうか。

事実、ドングリは栄養価が高く、パーフェクトフードとすらいわれています。
実際、ドングリを3粒も食べれば身体は満足し意識は冴え、満たされた状態で半日はいけますよ。

シカもイノシシもリスもサルもクマも、野生動物たちはみなドングリが大好きですが、それも納得です。
イベリコ豚もそうですが、ジビエの視点でもドングリを食べるシカやイノシシが一番美味しいそうで、それも納得です。

子供たちがドングリを拾ってしまうのも、DNAレベルで刻まれる本能からくるのかもしれません。

採集や保存の手軽さにおいても栄養価においても、ドングリこそが日本最強な気がしています。

(ちなみにドングリには何十種類あり、それぞれに味わいが違い、生で食べても全くエグくないものもありますよ)

 

ドングリが『うまい!』に…自分でも驚いた変化

このことは僕自身が驚いてます!

1年間雑草やドングリを食べ続けていたら、、、雑草はもちろん、あれだけ強烈だった生ドングリの味や風味までもが、、、いつのまにか普通に『旨い!』に変わっていたのです。

コーヒーやお酒、薬味や珍味などの〝大人の味〟が、経験を重ねるごとにだんだん『旨い』に変化していったように、、、雑草やドングリの味覚も、そうなったのです。

人間の〝感覚〟も、後天的にいくらでも変化していくし、慣れや練習により拡張したり制限していけるものなんだと、改めて感動しています。

 

〝満たされる〟という尺度

こうして野生のパワーを取り入れ向き合っていくと、『味に満たされる(頭が美味しいと判断する)』ことや『空腹が満たされる』とは別の、心身が本質的に〝満たされる〟という尺度が存在することを改めて体感します。
それは味やカロリーやビタミンやミネラルとは違った何か、、、もしかしたら〝プラーナ〟や〝ソマチッド〟や〝バイブス〟とよばれるような〝何か〟だったりするのかもしれません。

そうしてみると、その意味での〝満たされる〟料理に出会えることは外食でも家庭料理でも本当に稀なことだとも気付きます。
しかしまた面白いのは、そんななか偶然に出会う〝満たされる〟料理は、名もなき居酒屋の小鉢であったり、たまたま出会ったおばさんのお握りであったりすることです。
そんな特別な料理をつくる人に「何かコツは?」ときくこと、大抵は「そんなもの、ない」と。
、、、いや、きっとあります。

改めて〝食べ物〟というものは、素材やプロセスや様々な人々のバイブスが醸す総合芸術なんだ、と。

こうなってしまうと、スーパーに並んでいる野菜たちの味やエネルギーの『すごくなさ』には物足りず、食べる意味を見出せなくなりますし、『お腹が減ったからコンビニ弁当を食べる』というようなこともなくなります。
工場で大量生産されているようなファストフードたちは、まるで工業プロダクトのよう。

逆にいえば、それは同じのものが大量に満遍なく行き届く、〝野生〟ではかなわぬ〝文明〟のクオリティであると、改めて感動をおぼえます。

染み付いた常識を外してみることは、こうして様々な気づきや成長を与えてくれました。

そしてなにより、野生のものは『必要なものがそこにある』ということ。
身土不二(その土地のものを食べ、生活するのがよい)というテーゼも、まさにそれでしょう。
その土地の気候風土、環境で、代々継がれ適応してきた種、、、人間にコントロールされていないことが〝野生〟とするならば、それこそが野生の摂理であり、答えなのだと。

栽培・飼育された動植物や品種などは、良くも悪くも優等生で、パワー的には〝萎えて〟当然です。
そもそも〝栽培〟こそが、自然への冒涜とすらいえないか? とすら考えてしまうこともありました。

社会的な尺度のいびつさにも気付かされます。
素材ひとつひとつでこんなにもパワーが違い、カロリーこそがエネルギーの指針で、天然の塩は滋養に満ちていて、とにかく大自然は豊かなのに、、、『成人男子の1日の必要摂取量』『カロリーオフ』『塩分控えめ』『食料自給率』などという尺度が、なんだかよくわからなくなります。

 

一周まわって

積極的に生の雑草をそのまま味わった1年でしたが、さらに気づきを与えてくれたのが〝野草料理〟の分野です。

野草料理の研究家の料理をいただく機会もあったのですが、きちんと吟味され、きちんと調理され、きちんと味付けされ、きちんと盛り付けられた雑草たちの、それはそれは美味しいこと美しいこと、『すごい!』こと!

このことは野生味を『生でそのまま食べる』ことばかりみていた自分に、さらなる気づきと、大きな反省もくれました。

結局のところ、、、同じ雑草とはいえ、街の路地の草はそのようにあり、豊かな土壌の草はそのようにあり、美しい水のパワースポットの草はそのようにあり、、、これはもはや、〝野生〟や〝雑草〟云々というくくりのお話でもないんです。

人間の手で長年培われてきた品種であり丹精込めて大事に育てた野菜も芸術の域、素晴らしいでしかない。
手の込んだ料理も、それだけ美味しく、パワーを持ち、感動を与えてくれる。

どんなものにも、それぞれの『すごさ』がある。

選べることが、素晴らしいことだと。

 

最後に

現代社会には『働かないと食えない』という意識的縛りや不安が常識化していますが、、、

『目の前に、生きる糧がある』

そう思えるだけで、どうですか?

こうなってしまえばもう、ただただ、地球最高! ですよね。
さらに海山豊かで水も豊富、豊かな大自然と気候風土の『この島(日本)最高!!』となりますよ。

もっといえば日本は和を尊ぶ優しい人たちに溢れていて、1年間、お金を持たず無一文で生きていて不安がなかった理由のひとつに、この安心感は大きかったです。

 

結局のところ、この豊かな地球で、それぞれの視点観点で、あるものを活かし、生かし合えばいいのかと。

囚われず、放棄もせず、、、まるで意識の高い、まるで野生動物のごとく。

このブログのテーマであり、工藤シンクの人生のテーマでもある『人間は意識の高い野性であろう』というところにいきつく、そんなお話でした!

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◉ 〝味覚〟もですが、〝性欲〟という野性的でしかなさそうな世界にすら後天的な部分がたっぷりと影響してるんですね

◉ 海山気候風土豊かな島、〝日本〟、、、そして和を尊ぶ日本人の気質は、ものすごいポテンシャルを持っていると思うのです

◉ 僕は1年間家無し無一文暮らしを実践してみましたが、『雑草を食べる』という選択肢の安心感は大きかったとおもいます

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