『科学』…とはいえ〝情緒〟
『科学的な証明』の最大のポイントは〝情緒〟だそうです。
その論理に、その図形に、その数式に…〝情緒〟を感じるかどうか。
、、、〝科学〟なのにそんなヤンワリとでいいんですかね?
〝情緒〟の意味をみてみましょう
『きっかけとなる何かがあって心の動きが誘われる、その気分やその場の雰囲気』
だそうです。
、、、やはり『気分や雰囲気で科学は語れないだろう!』とは感じてしまいます。
そもそも〝情緒〟というもの自体がヤンワリな概念でしかなく、科学的に証明されているわけでもないので、よくわからんのですけど、、、
ですが、よくよく考えると当たり前に〝情緒〟でしかないということもみえてきます。
確かに、、、〝情緒〟
科学は人類の歴史とともに、着々と精度をあげてきました。
『地球は丸い』など固定概念ごとひっくり返す、ぶっ飛びのパラダイムシフトもありつつ。
とにかく『証明』し、一般認知されてこその〝科学〟かな。
例えばニュートンがリンゴが落ちるさまをみて[引力]の存在に気がつき、それを第三者に伝えるのに必要になるのは[言葉]や[数字]や[図形]…つまり論文ですよね。
リンゴが落ちるのをみて『そういう力があるんだなぁ』となっているだけの段階では、それこそれはニュートンだけが感じている〝情緒〟にすぎません。
冷静に考えれば、まだ世界には[引力]という言葉も概念も存在していないわけですから、、、それを証明し存在させるためには、、、多くの人にイメージさせ、腑に落とす必要があったということです。
『[引力]、、、確かにあるねぇ!』と、ピンとくるということ、腑に落ちるといいうこと、釈然とするということ、、、『きっかけとなる何かがあって心の動きが誘われる、その気分やその場の雰囲気』、、、
確かに、そこには〝情緒〟しかないかもです。
『その気分』や『その場の雰囲気』には、『大多数が賛成してるから』や『権威ある大先生がそういうのなら』というような人間味ある情緒も影響するのかもしれません。
そもそも『ニュートンがリンゴが落ちるのをみて、、、』という逸話自体が〝情緒〟をもって語られるフィクションらしいですしね。
極論でいえば論文に綴られる[言葉]や[数字]ですらも、人類それぞれがそれぞれの〝情緒〟に委ねられた形而上学的なシンボルにすぎないというみかたさえできます。
[引力]どころか、[リンゴ]という言葉と概念自体もそれぞれにあやふやで、それぞれの〝情緒〟にゆだねられている、、、
例えば僕が『宇宙はポペソでできている』という《宇宙ポペソ論》をとなえるとします。
みなさんは[ポペソ]などというものは初めてきくので、、、『うん、宇宙はポペソだね!』と腑に落とすためには、僕の論文や図形や数式がみなさんの〝情緒〟をかき立て、すなわち[ポペソ]の幻想を認識させるしかないというのは、、、確かにその通りです。
そしてそもそも!
僕が《宇宙ポペソ論》について言及できるのは、既に[宇宙]という存在を『僕やみなさんが認識しているから』という大前提のうえに成り立っています。
僕もみなさんも本当の[宇宙]をみたことも味わったこともないというのに、、、(というか、[宇宙]って何?)
[宇宙]の存在は科学的に証明され、もはや一般常識ですが、、、僕らの中に存在する[宇宙]ですらも、いまだそれぞれの〝情緒〟にすぎないじゃないか! というようなお話だともおもうんです。
実は、現代科学において『絶対的に証明されている』ものは何もないそうです。
[万有引力の法則]や[相対性理論]などの有名どころにせよ、ある側面からは必ずや否定もできると。
[エネルギー保存の法則]だけは絶対とされていますが、それはこの法則こそが現代科学の基本原則だからです。それを基軸として現代科学の発想や証明がなされてきたので、そこがおじゃんになれば、すべておじゃんというレベル。
もちろん大前提である[エネルギー保存の法則]が大間違い! かもしれませんし、そこに現代文明の最大のパラダイムシフトがひそんでいる気もします。
だれもが知り、認識しているのに〝心(魂)〟についての証明ができない、、、科学の盲点はそこにあるのかもしれません。
僕らは〝情緒〟で世界を味わい認識していているというのなら、『それ自体』を証明できるはずもなく、、、逆説的にそれは、はじめから『証明されてしかいない』のですから。
どんな発見も、どんな発明も、、、どうしたって〝科学〟は『もともとあるもの』の再認識や再定義、再構築にしかあり得ない、というのもまた盲点の気がします。
ならばむしろ、ファンタジーやフィクションにこそ、パラダイムシフトの突破口があるのかもしれません。
所詮は全て〝情緒〟かぁ、、、なんだか微笑ましい気分になりますよね。
現代社会に情緒不安定な人が多いのは、『科学にたよりきった社会』という情緒にのみこまれているからなのかもしれませんね。
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