アクセスバーズにみた〝世界〟
〝アクセスバーズ〟をご存知じでしょうか?
脳の断捨離ともいわれ、頭部に軽く触れるだけの施術にて、不要な思考や思い込み、不毛なジャッジやトラウマなどを解消するヒーリングメソッドです。
僕もマスターに受けてみたんですが、とても興味深い体験でした。
施術を受けながら、せっかくなんで自分自身でも自己の思い込み、引っ掛かり、トラウマなどを探り、心身をスキャンしてみたんです。
……すると、、、何もないことに気づいたんですね。
僕の中にはそういったものがない、何も引っかかっていない。
そのことに気づいたと同時に、マスターも『何もないねぇ!』と驚いた様子でした。
もちろん僕にだってネガティブな要素がないわけではないんです。
人生いろいろあったし、様々なトラウマや思い込みに満ち溢れているのは間違いないんです。
しかし僕は、今の僕も、とりまく現状も、、、これでよく、好きでしかないんです。
過去の色々があっての今だし、ならば全てそれでよかったし、未熟な僕にしろ僕だし、成長の余白もある。
これからどうとでもなる未来にも期待してるし、何かが起きたら起きたなりに対処していけばいいや、と。
否定も肯定もなく、とどのつまりは『なんでもあり』で、そのうえ『どうでもいい』でしかないことに気づいたんです。
マスターはいいました。
「ならばいっそ、善悪や時間や空間のような設定も消しちゃいますか?」と。
そんなものを消してしまっていいものかと、ちょっとドキッともしましたが、、、面白そうなんでやってもらうことにしました。
施術を受けながら、僕はまた自分の心身をスキャンしました。
……すると、、、それすらないことに気づいたんですね。
そのことに気づいたと同時に、マスターも『何もないねぇ!』と驚いた様子でした。
僕の中には[善/悪][リミット][遠い/近い]などの設定が全然ない。
あるのは[快/不快]と、それに付随する[面倒臭さ]の尺度しか見あたらなかったんです。
つまり、、、
僕が何かを『悪い』とするときは、僕の周りの人たちが『悪い!』としているからであり、、、僕自身は[悪い]とはおもっていない。
僕が『何月何日何時に何かする』と時間を設定するときは、僕の周りの人たちがそう求めるからで、、、僕自身は気にもしていない。
僕が何かを『遠い』とするときは、僕の周りのひとたちがそう訴えるからであって、、、僕自身は気にもしていない。
社会や僕に関わる人たちがそう感じ、設定し、求め、喜んだり悲しんだり怒ったりするから、、、僕はそれに付き合っているだけなんだと気付いたんです。
五感の[快/不快]があって、意識としては『周りにチューニングする』というのがあって、思考としては『面倒くさいかどうか?』の尺度があるだけで、、、
僕には何もない! 、、、ただ周りに合わせているだけなんだと。
しかし、そう考えてみたら、、、それって皆さんも同じじゃないですか?
自分の感覚と、社会常識や周りの人との兼ね合いでしかない。
極論でいえば……もしも自分だけが〝魂〟としてこの宇宙を漂っているだけで、関係するモノゴトが何もなければ……設定も尺度も何もない!
もちろん、少なくとも僕らは肉体を持ち、この地球を生き、社会との兼ね合いがあり、それでこその〝自分〟なんですけど。
能書きは色々あれど……改めて、全ては自分の[快/不快]でしかなく、判断の指針は『面倒臭さ』くらいでしかない、、、と。
それくらいざっくり生きてもいいんじゃないか?
と、改めて感じた、貴重な体験でした。
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