〝数字〟の意味と、意味のなさ

工藤シンクの世界

言葉の意味と、意味のなさに続き、〝数字〟について。

こと数字のお話ですからめちゃくちゃシンプルです。

まず、シンプルすぎて見落としがちな数字のカラクリ…それは、

『数字には[0]と[1]と[∞]しかない』

ということ。

 

例えば[8]は『[1]が8個』のことであり、[12369]は『[1]が12369個』のことですよね。
つまり、どんな数字であろうと『[1]がどれだけあるか』でしかないという、それだけのことです。

[0]は「無」や「起点」、[∞(無限)]は「限りない」という概念とすれば…実質的な『数字は[1]しか存在しない』ともいえませんか?

では、[1]の概念とは!? Wikipediaにはこう綴られています。

「無」を意味する 0 に対して、1 は有・存在を示す最原初的な記号なので、物事を測る基準単位、つまり数や順序を数える際の初めである。

 

〝言葉〟と一緒ですよね、人間が『有る』『存在する』としたときに[1]が産まれ、数字が意味を持ちはじめる。
『何を[1]と設定するか?』…そこに数字の真髄がつまっていているということじゃないですか!!!?

 

リンゴが12個あれば『1ダース』…ダンボールに詰めれば『1箱』、コンテナに詰めれば『1トン』などなど…[1]が設定により様々変化することは日常でもよくあることです。

川の水をコップですくえば『コップ1杯の水』…バケツですくえば『バケツ1杯の水』…コップ10杯分をバケツに集めても『バケツ1杯の水』…とはいえ『コップ10杯分の水』とも『1ℓ』などともいえ…その水は『飲み水』や『洗濯の水』となるのかもしれませんが…川にもどせばただ『川』であり……それは絶え間なく海にそそぎ雨となりまた川に巡る、とどのつまりはただの『水』。

それこそ括り方次第でしかないですよね、地球に水は[1つ]しかないという考え方すら可能かもしれません。

むしろ『H2O分子が200兆個』みたいな表現のほうが正確でしょうか?

そうなってくると……宇宙のエネルギーや物質は全て原子や素粒子などの流動的な〝粒〟で構成されているという観点でみれば、『水』も『コップ』も、『リンゴ1個』もあったものではありません。
『水』も『コップ』も『リンゴ』も、、、僕らが『そう思い込む』からそう存在できるだけという意味では。

[1]はどう設定するか次第で変わり…なかなかにあやふやですね。

 

日常使っている数字にも、忘れがちなリアルがあります。

『水は0℃で凍り100℃で沸騰する』かといえば……『〝温度〟という尺度で、水が氷から沸騰するまでを100で割った定義こそが1℃』であったり…

『地球1周は40000km』かといえば……『〝長さ〟という尺度で、地球1周を40000で割った定義こそが1km』であったり…

『1日は24時間』かといえば……『〝時間〟という尺度で、地球が1回転するのを24で割った定義がこそが1時間』であったり…

同じこととはいえ、僕らは物心ついた時からの教育のために逆の発想をしてしまいがちです。
こういった設定の根源を改めてみなおすと、なんだか数字にも野性的なリアリティーが増しますよね。

ちなみに〝重さ〟1kgの設定はなかなか面白いです。
最初は水1ℓの重さを1kgと設定したんですが、水の体積はその都度変わることがわかり…1kgの尺度となる[キログラム原器]という金属の玉をつくり、その世界にひとつだけの玉を厳重に保管しているそうです。人類にとって、その玉のみが正確な1kgを示してくれるという…なんとも野性的な事実。

人間の最先端テクノロジーが[0]と[1]のみ…すなわち〝デジタル〟に行き着いたというのもすごく野性的な現実だとおもいますよ。
[0]と[1]、[ON]と[OFF]、すなわち[ある]と[ない]だけの世界で複雑な計算もこなしますし、様々な情報、美しい画像や音楽も再現できるんです。
なんとも根源的、宇宙的、感覚的なお話ではありませんか。

そもそもデジタルは[二進法]という数字解釈なだけで、僕らが扱う[十進法]とは数の扱い方が違うだけです。
時間は[60分]で[1時間]とする[六十進法]というように、人間は[10]で飽和し繰り上がる数字解釈をベースにモノゴトを考えてきただけなんです。
なんでそうなったかといえば、、、数える指の数が10本だからですよね!? 完全に野性的なお話ではありませんか!!!

  

では、ここでひとつみなさんに問題をだします。

『世界には上り坂と下り坂、どちらが多いでしょうか?』

……答えは、、、、『同じ』ですね。

坂が登りか下りかは、その人の立ち位置によって決まります。
地球を俯瞰でみるならば『上り坂』も『下り坂』も単に『坂』、同じものでしかありません。

数字なんてそんなものじゃないでしょうか?

1時間が短いのか永いのか? 3kmが近いのか遠いのか? 10kgが軽いのか重いのか? 100万円が安いのか高いのか?  …そんなことは誰にもわかりません。
数字に雑味はないけれど、人それぞれの設定や価値観・フィーリングによりその意味は千差万別に変化できます。

『可愛い女の子と1時間一緒にいると、1分しか経っていないように思える。熱いストーブの上に1分座らせられたら、どんな1時間よりも長いはずだ。相対性とはそれである。』

これは[相対性理論]を提唱したアインシュタインの言葉です。

実際に時間も距離も重さも、そのような感じということです。

相対性理論的には「速度が早いほうが時間の進みが遅くなる」「強い重力場のほうが時間の進みが遅くなる」ということですが、、、
例えばカーナビなどで使うGPSの衛星は地球の重力圏から遠い軌道を高速で飛んでいるので、そのスピードの早さにより時間が遅く進み、その重力の弱さにより時間が早く進み…そんなわけで地球上の時間と違う流れにあり、GPS衛星の時計はその都度誤差を補正しながら運用されているそうです。

時間すら曖昧なものとすれば…以前ご提案した『この世界は全て自分の幻想(思い込み)』というお話も、よりリアリティーを増してきます。

それにしてもこれから宇宙時代に突入したら人間はどういう意識状態になっていくんでしょうか、楽しみです。
太陽の表面温度は6000度らしいし、ブラックホールの重力は地球の30000倍あるらしいし、光は秒速300000kmらしいし…宇宙スケールともなると数字もぶっ飛びの世界観。
それでも人間は、地球尺度の24時間に1回は寝むくなり、然るべきタイミングでお腹が減るとするならば、、、やはり僕らは胸を張って地球をベースにした野性動物であります。

 

アインシュタインの名言にはこんなものもあります。

『私の学習を妨げた唯一のものは、私が受けた教育である。』

たまには教わった常識やこれまでの経験の縛りにとらわれず、この世界をもっと野性的に眺めてみるのもいいかもしれません。
〝マインドフルネス〟という状態ですね。
理数的にも結構イケるはずなんです、三角関数も円周率πも、紀元前を生きた誰かが直感的に、野性的に発見したものなんですから!
円数率を[π]と教わってしまえばそれですむ話ですが、教わらずとも円と本気で向き合うならば…気づくことは全然可能なはずなんです。

人類の叡智、、、教育による知識の引き継ぎはとても素晴らしい反面、それによって機会を失った〝何か〟もたくさんあるのかもしれませんね。

 

〝言葉〟も〝数字〟も便利で大切なコミュニケーションツールではありますが、絶対ではないあやふやなもの。
野性的な観点で〝数字〟を紐解くならば、人間は[1]を『どう括り、どう解釈し、どう扱うか?』ということしかやってないともいえるんじゃないでしょうか?

地球上に[国]は[196個]ぐらいありますが地球は[1つ]ですし、[75億人]くらいいますが人類は[1つ]ですし、、、とはいえ[日本]も[あなた]もオンリーワンな〝何か〟なのは間違いないですし、、、

『どう括り、どう解釈し、どう扱うのか?』は〝自分次第〟でしかないということを意識してみると、目の前に違った世界が拡がってくるかもしれません。

 

こちらもあわせてお楽しみください!

 

この観点からすると、そもそも数字も言葉も時間すらあったものではありませんし

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