原発も放射能も、愛へ

健康, 工藤シンクの世界, 科学

原発や放射能と、よりポンジティブで愛あるところから向き合いたい。

原発や放射能の問題は簡単ではありません。
社会規模のスケールですし、現状では放射性物質の扱いは難しく、何世代先までも向き合うことになるからです。
僕も放射能に懸念を持ち、原発産業にまつわる社会構造や利権などに疑問を持つひとりです。
しかし『原発反対!』とそれらを頭ごなしに敵視し毛嫌いする風潮にも、美しさを感じられないでいるのです。

何事にも解決には『きちんと向き合う』ことが大切ですし、善悪のジャッジは本質を見えなくすることが多々あります。
〝悪〟と色付けされたモノゴトには、それと向き合うこと自体に少なからず拒絶感や罪悪感、ネガティブなベクトルや深層心理を孕んでしまうものです。
原子力テクノロジーの発展や問題解決をより早めるためには、膨大なお金やマンパワーや叡智などのエネルギーを前向きに注ぐ必要があるかとおもいます。
しかし、今のままでは原子力と向き合い関わること自体にネガティブなイメージがうまれかねません。
人類史がそうやって乗り越えてきたように、もしかしたら次世代の天才たちが原子力の可能性や放射性物質の問題をいとも簡単にクリアしてくれるかもしれないのに、その可能性と間口を狭めることにもなりかねません。

現状でも問題と向き合い解決しようとし続けてくれているヒーローたちがいるのに、このままではまるでそれは〝悪〟の現場の出来事です。
放射能も放射性物質もこの宇宙にある真っ当な存在ですし、太陽だって核エネルギーそのものとすれば、単純な〝悪〟ではありえないはず。
原子ほどの微細なものたちの反応であり波長としてみても、ポジティブなバイブレーションで向き合ったほうがよりよき動きをみせるはずなんです。それは科学的にも量子力学的にもスピリチュアル的にも。

原発にまつわる政治経済の構造への批判にしても、民主主義であり資本主義競争社会という仕組みを享受し生きる僕ら全員が少なからず〝当事者〟であり〝責任者〟なんですから。
反対の意見といえどもそれはもちろん〝敵〟などでもなく、みながこの国この星を共に生きる〝仲間〟なんですから。

誰かのせいだけにもせず、他人まかせだけにもせず、、、みなできちんと受け入れ向き合って、前向きにエネルギーを込めていけたら素敵ですよね。

 

…………ところではやく宇宙人が地球にやってきて、その文明力でちょちょいと問題を解決してくれ、シレっと次の時代に進めたらいいな、、、などと無責任な他人まかせに想いを馳せる、僕がいるわけですけれども。

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