僕がヨガをやめたわけ(とススメ)

体験談, 健康, 哲学, 工藤シンクの世界

二十代後半のひととき、僕は毎日みっちりヨガをしていました。
ヨガブームがおこる前ですから、ヨガは一般の方々から『変人たちがする、インドからきた怪しいもの』『苦行』のような認識がされていた頃です。

ある日、いつものように大自然の中でヨガをし、三点倒立をしながら無我の境地にいたときです、、、僕はあることに気づきました。

それは『心と身体はひとつだ』ということ。

心と身体は繋がっていて、心の状態は身体にあらわれ、身体の状態は心にあらわれ、相関するひとつでしかないということ。
〝ヨガ〟とはサンスクリット語で「つながり」を意味し、〝心と身体が繋がっている〟状態のことを表すそうなので、、、そのまんまのことなんですけれど。

その気付きによって、僕にはヨガをする理由がなくなりました。

『心と身体は繋がっている』のだから、ヨガによって得られる身体の状態は心を〝そのように〟チューニングするだけで得られるということに気づいたのです。
事実、ヨガをし終わったあとの清々しいメンタリティを再現すると、身体もいつでもその状態になれます。

さらにいえば『心と身体は繋がっている』のだから、人生のあらゆる所作全てがヨガでしかないではないか、という認識に至ったわけです。

これはみなさんも日々体験している、とてもシンプルなことです。
怒っていれば怒っているなりの身体と呼吸になり、身体をゆるめれば心もゆるむというようなシンプルなことであり、『笑いながら怒ることはできない』というような当たり前なことです。
心は身体をつくり、身体は心をつくり、、、ヒーローはヒーローのごとく、弱虫は弱虫のごとく、卑怯者は卑怯者のごとく、、、そのような風体をなしている、というような当たり前なことです。

実際にみっちりヨガをしてから街を歩くと、道ゆく人の姿勢や呼吸、身体の状態や所作などから、その人の精神性や人生までもが垣間見えてくるものです。
そういう意味では『人は見かけによらない』どころか『人の全ては見かけに表れている』とすらいえるほどに、内面と外面は繋がり表れているんだと。

そのようなことを体感のもと気づかせてくれるヨガ、そしてその哲学や叡智は本当に素晴らしいものです。

そしてやはり、僕も今では当時の精度での心身のヨガ的なチューニングはできなくなりましたので、練習や継続することの意味や大切さはもちろんです。

個人的には、ヨガは身体各所の『緊張と緩和、呼吸』を味わい、向き合い、拡張し、センターを見極めていくことにより、心身の統合とチューニングができるようになることにポイントがあると感じています。

『心と身体は繋がっている』ことを意識してみると、様々なことがクリアになっていきますよ。

心と身体は繋がっている

僕らは生きている以上、心と身体と共にあります。
ならば、全てはヨガだとすらいえるのかもしれません。

そういった意味では、僕は今では〝ヨガ〟はしていませんが、いつでもどこでもヨガをし続けているともいえます。

そういった意味では、世界人類みんながヨガをしているとすらいえるのかもしれません。

これほど全てを内包してしまうほどの本質的で普遍的ななメソッドは、この世界にはあまりないのではないでしょうか?

〝心と身体は繋がっている〟のだから…
日々 心と身体をつくっている環境、衣食住、文化的なことから人間関係のひとつひとつが繋がっていて、とても大事になる。

それらを意識できるようになる。

人生において〝ヨガ〟は本当にオススメです。

 

あわせて読みたい

◉ ヨガといっしょで、マクロビオティックも本質でしかない〝何か〟に満ちています

関連記事一覧