〝家事〟こそが人生のクオリティ

工藤シンクの世界

〝家事〟…出来ればしたくない余計なお仕事、雑務。
それに費やす時間やエネルギーは、出来る限りほかのことに充てたいものです。

…………本当にそうでしょうか?

家事こそが人生で最も重要なお仕事であり、人生のクオリティそのものではないですか!?

家事といえば、炊事・洗濯・掃除・育児などのこと。
つまり、必要な栄養をとり、清潔に、子供たちを育てる、、、ということですよね。

より健康に、より気持ちよく、より子孫が繁栄しますように。

もうこれだけで『人生のクオリティ』といった意味はおわかりいただけるかとおもいます。

炊事ひとつをとっても、美味しさ、栄養価、安全性、彩り、などなど…器や環境、BGMのチョイスなどなど…あくなきクオリティの探求がありますから、なんともクリエイティブです。

 

僕は仲間たちとメキシコを馬で旅したことがあります。
それはめちゃくちゃ過酷であり、めちゃくちゃ最高な日々でした。
街から街への数日は何もない荒野やジャングルをすすみ、川をみつけたら裸で飛び込み、身体や衣服を洗い、日が暮れる前に停泊地をみつけ、場を整え、薪を集め火を焚き、料理をし、歌い語りあい、草の上で眠る……そんな日々。
久々に街に到着すると、快適な部屋があり、蛇口をひねれば水やお湯が出て、レストランで料理を嗜める。
もうそれだけで大感動なんですが、同時に物足りなさも感じたものです。

日本で暮らしている今でも思い出しますね、あの最低で最高なひとときを。

 

もともと人類は仲間たちと狩猟採集や農耕牧畜をして生きてきました。
そこには〝生きる〟を謳歌する全てがあったことでしょう。

 

〝家事〟………

大事なのは『1日3回食べること』ではなく、『掃除・洗濯をすること』ではなく、『育児・教育すること』ではなく…人生を謳歌することだとはおもうんです。

より健康に、より気持ちよく、より子孫が繁栄しますように…

 

そんなことは当たり前ですか?

ならば家事こそが当たり前のお仕事で、それ以外にこそ人生の本当の〝仕事〟があるということでもありましょう。

家事以外の余暇・余興にこそ人生謳歌のクオリティーが潜んでいるということでしょう。

そういうことでありましょう!!!

(などと偉そうにいってはみたものの、僕自身の人生のクオリティもまだまだですから…さらなる高みを目指します。僕はそれらのことを〝道楽〟とよび、楽しむ所存であります。)

 

- - - - - P.S. - - - - -

資本主義競争システムは切磋琢磨しての衣食住のクオリティー底上げを成してきました。

毎日火を起こさなくてもコンロをひねればお好みの火力、ゴミは掃除機でスイスイ、
川に洗濯にいくのも全自動洗濯機のボタンひとつ、近所にスーパーや保育園もでき、、、

昭和時代は年々性能があがり便利さを増す家電たちに、拡張されるインフラに、僕らは大盛り上がりしていました。
しかし、一通りの到達点をみせ、やりきった感のある現代日本ではどうでしょう?

バイトで家賃を稼ぎ、コンビニ弁当を食べる日々……
夫婦で家事当番を課し、共働きをする日々……
子育てを負担にすら感じる日々……
未来に希望が持てない日々……

そうしてこの先、未来は安価なパーフェクトサプリがゆきとどき、全自動ロボットがお掃除し、洗濯いらずのボディースーツなどが当たり前になっていき……さらには、クリーンルームで栄養満点の点滴をし、神経直結のVR(仮想現実)で〝最高!〟な人生が待っているのかもしれませんけど。

どんなだろうが、イマココの人生を謳歌するのが最高! ですよね。

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