SEX…性的興奮はどうなっている?

工藤シンクの世界, 男女

野性の男女といえばSEXです。

〝野性の人間〟としてみたときに、ひとつの目的は間違いなく[子孫繁栄]でしょうから。

ここで興味深いのが『人間は教えられなければセックスはできないのか?』という論議。
人間はセックスのハウツーを教えられなければその行為ができないのでしょうか?

僕はよく男女問わずこの議題を投げかけてみるんですが、『出来る』『出来ない』の意見は別れます。
個人的には、男女がイチャイチャしていく先に……自ずと〝そこに至る〟のは間違いないとおもいます。
とはいえ現代社会のなかで頭でっかちに生きていたら、教わらないとその感覚が発動しない気もします。

どうなんでしょうね?

その点では、〝性的な興奮〟すら案外に後天的に植え付けられた〝意識〟によるものだったりするということなんです。

例えば日本人の性的興奮は、TVや漫画などのコンテンツから由来する部分が大きいといわれています。
パンチラや胸チラなどで萌えるのは、幼い時からコンテンツなどでそういう概念を、そういうチューニングをうえつけられているからだと。

確かにアフリカなどには女性が胸を丸出ししている民族などがありますが、男性はそれをみて興奮することはありません。
男女が全裸で楽しむ文化、ヌーディストビーチでもいちいち発情している人はいません。
僕もヒッピーたちと世界中を旅してきたなかで、若い男女たちが全裸であるシチュエーションを体験してきましたが、そこにはエロどころか健全な楽園感が醸されていました。

とあるアフリカの少数民族の話が興味深いです。
彼らの普段の格好は男女ともに紐を腰に巻いているだけ、男女とも胸も性器も丸出し。
つまり男女とも全裸同然。
しかしその部族の女性が夜に男性の前でその腰紐を外すようなことがあるならば……男はめちゃくちゃ興奮するそうです。

逆のベクトルとして、SMや変態プレイなどの、構築された〝意識〟と〝野性〟のせめぎ合いから興るクリエイティブな興奮領域もあります。

人間の野性は計り知れませんね。

 

『SEXをして子孫繁栄にはげむ』………『痛かったら手をひっこめる』『お腹が減ったら食べる』『環境を綺麗に保つ』『他人を傷つけない』などの行為や倫理・常識が、人間はどこまで本能のおもむくままに高められるのか…『野性の人間』の真価、非常に興味深いです。

 

まさにそれらの探求が〝#人間は意識の高い野性であろう〟といえるかとおもいます。

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