〝フィクション〟の大切さと『みえなさ』

工藤シンクの世界

『人類は〝フィクション(虚構)〟を得たから生き延びてこれた』
これは世界各方面から称賛される天才、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が『サピエンス全史』で提示している説です。

人はフィクションを生み出すことができるから、それをみんなで共有し力を合わせることができる……確かにそれはそうで、腑に落ちます。
[神]のような絶対的な〝何か〟であれ、[コミュニティー(国・家族・仲間・会社)]であれ、[正義]であれ[責任]であれ[時間]であれ、[道具]にせよ[りんご]にしたって、、、人間の持つ〝概念〟は全てフィクションともいえますよね。
『こんなことが出来るかも』という未来へのイマジネーションもまさにフィクションですし、それを具現化できるのが人間の創造性そのものともいえます。

↓そして、これはネットで見つけたある画像。

この図は細谷功の『具体と抽象』という書籍に掲載されているそうで、『抽象はそれがみえるひとにしかみえない』ということと『それはマジックミラーのように一方通行である』ことを表しています。

あたりまえでしかないんですが、『フィクションはそれがみえるひとにしかみえない』というその現実をわかりやすく表現しているな、と。
そしてこれをみて、『モノゴトを進めたいならば、いかに具体性を持たせ、伝えられるかが大事だな』と改めて感じました。

大きなことだではなく、日々の細々としたことまで、、、『みえる』『みえない』の狭間で悩むひとたちが多い(人間のいき違いのほとんどはそこなのではないか?とおもうほどに)気がしたので、『それでしかない』客観として、ここに掲載しておきます。

極論でいえば、『その人にみえるもの』は『その人にしかみえない』わけですから、、、結局僕らの世界は、それぞれの思い込みレベルの集大成かと。

(逆説的に、、、誰でも具体的に『みえる』〝五感の領域〟こそを大事にしたいものですね)

 

あわせてよみたい

◉ 『この世界は自分の思い込みでしかない』といいう、ね。

 

◉ 人間の概念…その象徴である『言葉』でさえも、そもそもフィクションでしかない!?

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