コロナウィルスの感染を味わってみて(仮)

コロナ, 健康, 工藤シンクの世界

昨夜(2020年2月28日)のことです。
僕は急に『病気がきた』という感覚にとりつかれ、心身がどんどん犯されていくのを感じました。

「あ、病気になる」

風邪のひきはじめのような、あの感覚。

いつもなら多少無理もするんですが、なぜか『今回は大事だ』と直感し、娘と遊ぶことも晩御飯をつくることも珍しくしっかりと断り、布団を敷いて寝込むことにしたんです。
なぜだか今回は『きちんと向き合う』ことの必然を感じました。

九州をめぐるツアーより熊本のエコビレッジ サイハテに帰還したばかりということもあり、コロナウィルスの感染もありえます。

個人的には、それ自体はどうでもいいことでした。
普段から健康を意識し、知識も経験も蓄え、独自のメソッドも高め、ストレスフリーに暮らし…事実、10年以上も病院に行ったことも薬を飲んだこともなく、そのように生きてきたのですから。

現状のコロナウィルスの情報からは、感染しても僕には何ら問題もないと確信しているからです。

とはいえ、今回は社会的な側面もあります。
サイハテ村でみても1万坪に30人ほどのコミュニティとはいえ、そこから感染者がでることの対処は『隔離』『追放』『どうでもいい』など集団の空気による判断がおこります。
一緒に暮らす家族をも巻き込んでしまいますし、もちろんサイハテ村やその界隈やそれ以外にまで。

「あぁ、社会では現在、このようは複雑な空気が蔓延しているんだ」と改めて痛感しつつ。

 

熱を測ると38度7分、そこそこの高熱。

僕は布団に潜り、自分の心身の深みに潜りました。

熱による心身のエフェクトを体感しつつ、起きながら眠るような感覚のさなか、夢と現実のはざまを彷徨っていると、、、えもいわれぬ領域に僕はいました。

上空に存在するのは、数名の宇宙人たち。
それらが僕に『コロナウィルスを与えるから、解いてみな』というのです。
優しくも無邪気に見守っているような、『君なら出来るよ』というような。
明確に〝宇宙人〟というビジュアルや、そのような〝言葉〟があったわけでもないのですが、僕はそう受け取りました。

さて、僕はそのようなわけで、夢のなかでコロナウィルスに感染し、発症しました。

僕個人の病気療法として(それ以外の大概もですが)大事にしているのは、〝受け入れる〟ということです。
〝受け入れる〟とすると『ポジティブに変換しなければならない』というような相反するエネルギーをも孕む人がいるので、〝ただ味わう〟といったほうが適切でしょうか。
お腹が痛いならば、その痛さを拒絶するでなく、その感覚をただ味わうのです。

僕は丁寧にコロナウイルスと向き合い、味わっていきました。

『病は気から』『心と体はひとつ』『全ては意識次第』といった大前提より味わうならば、確かにそこに問題はみえてきます。
大概の病気がそうであるように、コロナウイルスにも〝不安〟や〝恐れ〟などのネガティヴなところに紐づく作用がみてとれました。
そうやって自分の心身と向き合い、丁寧に自分の〝不安〟や〝恐れ〟などを探っていきます。
そういった要素は心や魂、脳内思考だけではなく、筋肉やリンパや内蔵などにも『自分でも気付かないレベル』で痕跡を残しているもので、それらを否定も肯定もなくただ味わい受け入れるという所作。
筋肉のコリひとつをとっても、そこにはそうなった意味があります。
その意味に目を背けているからこそ、そのコリは解消されずにそこに存在するわけで、、、
つまりは自分がこれまで目を背けていたことと向き合うということにもなります。
過去のこと…それは意外なほど幼少期にまで遡ることもありますし、キャッチーにいえば前世やカルマのような部分にまで触れる作業です。
自らの傷を開くような、怖さや痛み、辛さを伴う作業…絶望的な気分さえも味わいます。
そこに触れ、気づき、味わっていると、、、案外に問題の簡単さ、ただの思い込み、どうでもよさに気づいたり、乗り越えられる強さを得たり、成長の余白が希望でしかないことに気付かされたりして………そのとき、〝それ〟は解消されるのです。

そのようにして、さて、不安や恐れは無くなっていきましたが、、、それに準じて病気が軽くなったかといえば、さほどでもないのです。

そのときにコロナウイルスの独特な存在感が浮き彫りになってきました。

端的にいえば、それは〝怒り〟

コロナウイルスは〝怒り〟に紐ずく存在。

科学的にいえば、人間の感情周波数帯の〝怒り〟のバイブレーションと共振しているんだと実感しました。

今度は自分の〝怒り〟と向き合う作業のはじまりです。
これまでと同様に、特に〝怒り〟に関しての自分の蓄積と向き合う作業を続けました。
確かに〝怒り〟が解消されるに準じて、症状は軽くなって感じます。

そのたびにコロナウイルスたちは僕にとって問題のない存在となり、むしろ自分の一部として愛せるような存在とすらなり、そのようにして病気の回復を味わっていきました。

しかしどうしても消えないコロナたちがいる…すなわち、どうしても解消できない〝怒り〟が僕の中にあるのです。

「なんだろう?」

丁寧にスキャンしても、なかなかそれは見つかりません。
そうしてやっと見つけた僕の〝怒り〟の根源は、なんと『人類に対しての怒り』だったのです。

僕は子供の頃から現代社会の〝美しくなさ〟に失望し、それをなんとかしたいと様々な活動を続け、エコビレッジ サイハテをつくったりしてきたわけですが…その根底にあるのはまさに『人類に対しての怒り』だったと再認識させられました。

『人類に対しての怒り!』

それをどうしたら解消できるかなんて、僕にはわかりません。

人類に謝らせる? 人類にビンタする? …いやいや違う。
さまざま思案して、やっとみつけたその方法は、、、なんと[パンクロック]でした!

パンクロッカーたちが社会への怒りを音楽に変換し叫ぶように、僕もそうしようと。

人類75億人を集結させ『オマエら目を覚せ!』とパンクロックライブをする? …それは恥ずかしいしなんか違う、全人類に胸を張って納得のパフォーマンスができる気もしない……その前にオーディエンスは全人類である必要もないなと気づき……僕は然るべき人々をそこに集め、ライブを敢行したのです!

『オマエら、目を覚せーーーー!!!』

あぁ、スッキリした。

……こうして僕の最後の〝怒り〟と〝コロナウィルス〟は昇華され……それとともに人類みなとコロナウィルスまでもを愛している自分と幸福感を味わい……

それとともに、熱と症状がなくなっていくのを実感しました。

 

朝、目を覚ますと熱は36度4分。

治った!!!

 

 

…….という、お話です。

夢のお話だし、リアルに熱も下がったし、まぁ、それだけのお話なんですが。

しかしこの擬似体験には何かヒントがあるなと感じ、恥ずかしながら会う人みんなに話してまわっています。
キチガイ扱いされるかとおもいきや、意外に共感してくれる人も多く、「これは多くの人に伝えて欲しい」という意見もチラホラ。
サイハテ村の子供には「そうだよ、病気ってそうじゃん!」なんて普通にいわれたりもしたので、公開してみる気になりました。

 

〝怒り〟とは、『自分の思い通りでないことへの憤り』といえるとおもいます。
そして原因を他者に押しつける感情は、〝被害者〟になりがちです。

それは美しくないし、解決にもならないと感じています。

心も身体も〝健全〟であれば、美しいはず。

人類みんながそうであれば、世界は美しいはず。

 

そして「やっぱブルーハーツ、ヒロトはすげェ!」と再確認できました。

 

いい夢みさせてもらいました。

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