驚異の感覚を持つ人! に知る、僕らの世界。

〝僕らには見えない色〟がある

〝僕らには見えない色〟を見ることができる女性がいる! と知り、会いにいったお話です。
この体験は、僕の人生に大きくエフェクトをかけるほどぶっ飛んだものとなりました。

〝僕らには見えない色〟?

例えば『虹』はカラフルなグラデーションに溢れていますが……実はその両端の赤や紫の先にも色(光)が続いていて、それが〝僕らには見えない色〟なのです。

赤より遅い波長の光は[赤外線]、紫より早い波長の光は[紫外線]とされ、人間の認識できる範囲の〝外〟の光線です。
『人間が処理しきれない』から『見えない』だけであり、事実、赤外線や紫外線が『見える』虫や動物はいるわけです。
鳥類や爬虫類にある[四色型色覚]を持つ人も極々少数発見されていますが、人間にも[赤外線]や[紫外線]までもを認識できる人がいるのです。

そういった人たちは、僕らとは全く違った視覚認識でこの世界をとらえています。
一般的には同一でしかない鳥の雄雌の羽の色を全く違う色として認識できたり、水面の乱反射でその下の状況を見て取ることができたりするそうです。
ある人はサラダのミニトマトを並べる時は赤のグラデーションで美しく盛り付けするそうで、それはもちろん一般的な視覚の人には全て同じ赤なのでしょうが、、、それにしたって直感的にもそのほうが僕らも美しいと感じることは間違いないんじゃないでしょうか?

〝見えない色〟を見る女性

〝僕らには見えない色〟…紫外線や赤外線のその先の色を見ている女性がいると紹介をうけ、僕は会いにいったのです。
Tさんは当時60歳くらいの女性でした。

驚いたことに彼女は、視覚だけではなくおおよその感覚と解析能力が一般人とは段違いだそうなのです。

例えば聴覚。
80年代に音楽媒体がデジタル化されCDが普及しはじめましたが、それを聴いたTさんは音がブツ切れに聴こえ、とても音楽として聴けたものではない!と…「壊れてるのか?」と感じたそうです。

デジタル音源は『音の波』を[0][1]のデジタルデータに変換するわけですが、そのデータ量と解像度で音質が変わります。
僕らもMP3などの圧縮音源には音の荒さを感じますが、TさんにとってはCDですら聴けたものではないというわけです。
実際にCDは一般的な人間の可聴域にあわせて規格がチューニングされたので、デジタルデータの解像度はそれなり…それこそ〝赤外線〟や〝紫外線〟と一緒で人間には聴こえないとされる高低域の音もカットされています。音を愛するDJなどがいまだにアナログロコードにこだわるのもそういうところにありますし、最近はハイレゾ音源などCDクオリティーを凌駕する解像度でのデジタル音源が流通していますが……確かに僕の感覚でも別物レベルの鳴りはわかります。
しかしさすがに、CDレベルの音源で『聴けたものじゃない!』とはならないですよね!

デジタルデータにおける、音や画像の解像度

(デジタルデータ量による、音や画像の解像度差のイメージ)

 

Tさんは生まれながらにそんな人間だったのでキチガイ扱いされ、小学校低学年のときに精神病院にいれられそうになったそうです。
慌てたTさんは図書館の本を読みまくり、「みんなはこういう世界を生きているんだ」と理解し、それからは一般社会にあわせて生きることができるようになったと。

彼女いわく「あなたたちが認識している世界なんて本当に狭くちっぽけよ」とのことでしたが、
「でも、そんな中で泣いたり笑ったりしているあなたたちは本当にクリエイティブ…素晴らしいわ」とも。

ではTさんにはどんなふうに世界がみえているのか? とたずねると「あなたたちには見えない〝色〟だから伝えようもないけれど…例えるならば、NASAとかが天体望遠鏡で銀河や星雲を撮影したような世界観が近い」とのことでした。

↓つまり、このようなこと。

宇宙! 銀河!! 星雲!!!

Tさんには世界がこんな風にみえているんです。
つまりは、今、僕らの目の前も…その感覚でとらえるならば、実はこんな世界だということですよ!

これじゃあ生活できない!とおもうでしょうが、産まれた時からその世界観で生きているのでなんの不自由もないんです。
僕ら一般社会の狭い世界観に付き合わされるとき以外は。

コウモリが超音波で飛び回るのも、昆虫が多数の複眼で世界を眺めるのも…人間にとっては意味不明な世界観ですが、そうやって生きている者たちには『あたりまえ』でしかないですよね。

 

 

彼女は経営者たちのコンサルティング的なこともしていました。
ビジネスの問題を抱えた方達の相談にのるわけですが、それも『寝ぼけて歩いているひとの目の前に大穴があるなら「そっちを通りな」と教えているだけ』とのことです。

感覚が拡張されている人にしてみれば、僕ら狭い視野で生きている人たちの行動は単純なことなのでしょう。
僕らが子供にアドバイスをするようなものなのでしょうか。

  

その日、僕はTさんの家に泊まり、遅くまで話に熱中したものです。
どんなことでもズバズバ目から鱗の〝答え〟を返してくれるので、意識も冴えわたり、ほんとうに小気味よい時間でした。
常識や固定概念がぶっ飛ばされつつも、シンプルかつ腑に落ち、自分がいかに小さな世界観に生きているのかにおののきつつも、、、大きな許しを得ている気持ちにさえなるのです。

 

そのようなわけで、この出会いは僕の人生を変えた大きなきっかけのひとつとなりました。

どうあがいてもこの世界は、所詮ちっぽけな『自分の世界』でしかなく、まだまだ知る由もない〝何か〟に満ちている、、、僕は改めて、人生を『どうでもいい』と感じ、人生を『素晴らしい』と感じたのです。

どしたって僕らは、小さくも無限に拡がるこの世界で泣き笑い、人生を謳歌するしかないのですから!

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