無一文で1年間を生きてみて

メソッド, 体験談, 哲学, 工藤シンクの世界

〝お金〟と〝意識〟いうエネルギーの本質を改めて探求してみようと、『お金のために働く』ということを一切やめ、〝#無一文〟というスタイルを1年間実践してみました。

くわえて『日本中に村をつくり、繋げ、解放していく』というプロジェクトを並走させ、さらには『家庭に養育費を毎月20万円入れる』という設定のもと離婚をし、10年暮らしたホームであるエコビレッジ サイハテ村を飛び出して、人生の荷物はカバンひとつ……裸一貫、家なし無一文というダイナミズムからのスタートを切りました。

そして1年、、、様々な体験と叡智を得たので、みなさまにお伝えしていきます。

 

無一文の1年は どうだったのか

結果として、この1年は人生で一番移動(旅)をし、人生で一番豊かなものを食べ、人生で一番酒を飲み、人生で一番学びと成長があり、人生で一番充実した1年となりました。

〝#村づくり〟としても日本中の5ヶ所の村づくりの立ち上げに深く関わり、発表できないものも含めれば50万坪以上の土地と関わりを持つこととなり、いつでも住める〝家〟も日本中の各所にできました。

お金を持っているときより生活は豊かで、安心感があり、具現化力も増している……この事実は予想通りながら、それでも予想を超え……やはりそういうことか! と腑に落ちる気づきや体感をたくたん得ることができました。

興味深いのは、仕事を一切せずに[毎月20万の養育費を家庭に渡す]ということも12ヶ月間具現化でき続けたということ。これがさらに面白いのは『なぜそれが毎月具現化できているのか?』ということを僕自身が認識していないし、記憶もない、というところです。つまり僕は[元嫁の手元に20万円が届いている]というイメージをエネルギーとして具現化させ続けているだけで、実際のお金の流れを把握していないのです。
だから『なぜそうなったか? 』がわからない。
逆にもし僕が『何日までにこれをして、いくらのお金を得て…』などという計算に囚われていたら、それは具現化しなかったでしょう。

この実験と実践の結果は、ほんとうに興味深いものでした。

『求めるお金はいつだって求めるように巡る』ということが体感として腑に落ちた1年でした。

 

求めるお金はいつだって求めるように巡っている

現段階で導けたひとつの答えとして『求めるお金はいつだって求めるだけ巡っている』ということ。

これは僕に限らずのことですし、〝お金〟に限らずのことです。

そう、全てにおいて、いつだって、誰だって、それはきっと、全てそうなのでしょう。

『全てはそれぞれがイメージし意識したとおりの世界である』という〝引き寄せの法則〟や〝量子力学〟などと似た領域のことにいきつきます。
『全ては心や意識の反映そのままである』と。

これらをきちんとまとめると本一冊にはなるので、今回はここまでにしておきますが。

そして僕としてもまだまだ先があります。
『お金を持たないでのエネルギーの巡らせ方』は腑に落ちましたが、次のタームの探求が必要です。
それは〝お金〟というエネルギー自体の探求。

お金がなくてもいいと知ったと同時に、お金はいくらあってもいいということを知りました。

次は、莫大な〝お金〟というエネルギーから創造する現実を味わってみることかと。

お楽しみに!!!

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