『これからの世界のリーダーは日本人?』『世界最古の国家は日本?』 | その意味を考える

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『これからの世界のリーダーは日本人』?

『これからの世界を牽引するリーダーは日本人だ』 ——そんな言葉を、耳にすることがあります。

正直なところ、今の日本を見渡して、その言葉に強いリアリティを感じる人は多くないとおもいます。
政治的な影響力が突出しているわけでもない。
経済成長率が高いわけでもない。
軍事力や国際競争力で世界を引っ張っているわけでもない。
むしろ今の日本や日本人は、どこか元気を失っているようにすら見えます。

でも、僕はそれでいいのだと感じています。
むしろ、それでこそいいのだと。

実は僕も、『これからの世界のリーダーは日本人』という言葉に、静かに期待をしているひとりです。

ただしそれは、日本が再び経済大国となり、世界を支配するというようなお話ではありません。

これは、これまでの〝リーダー像〟とは違った視点のお話。

なぜならば、これからの世界の… 〝新しい時代のリーダー〟のお話ですから!

 

■ 世界は転換期に入っている

現代のグローバル社会の基本OSは[資本主義競争社会]です。
それは〝お金〟という価値尺度と〝競争〟をエンジンにして廻る仕組み。
この仕組みによって人類はこの200年ほどの大きな発展を遂げてきました。

しかし今、いよいよこのシステムも飽和し、ある種の末期症状をみせている。
格差・環境破壊・戦争などの歪みもそうですが、発展が飽和したことによる惰性化・働く意義の喪失などもあります。
そしてAIをはじめとするテクノロジーの進化も重なり、その構造そのものが大きな転換点に差しかかっています。

さらには気候変動や災害へのリスクも年々強まっている昨今…

もし仮に、ある日突然このシステムが機能しなくなったらどうなるでしょうか?
例えば大災害や国家の破綻などで… システムやお金が機能しなくなったら?

多くの国では、暴動や略奪が起こるかもしれません。
生きるためのほとんどを〝お金〟で巡らせてきたうえ、競争社会の深層心理には「弱肉強食」が根ざしてしまっているということもあります。

 

■ 日本人の場合は?

さて、そのような状況で、日本人はどうなるでしょうか。

みなさん、自分ごととして想像してみてください。

当初は混乱もあるでしょうが…その先に、助け合いがはじまり、みなで協力しあい、生き延びていく。
そんな光景が、想像でませんか?
持ち前の優しさ・真面目さ・器用さ・創造性を発揮し、新しい暮らしをクリエイトしていく…そんな未来が想像ができませんか?

『生きていくとこができる気がする』この安心感。
これは、実はとても稀有な感覚です。

日本は世界でも稀にみる豊かな気候風土をもった環境ですし、日本人の根底には、 「みな仲間」「みなひとつ」という連帯感があります。
それは愛国心とはまた少し違う、もっと全体に染み込んだ感覚。
まさに〝和を尊ぶ〟という、日本人の本質的な部分。

この性質は、競争社会では〝平和ボケ〟や〝同調圧力〟と批判されることもありますが…これこそが、日本人の稀有な特性であり強みなんだと僕はおもうのです。

そしてその特性は〝資本主義競争〟システムの前提が外れ解放されたときにこそ花開くのだと。

どんな状況でも、在るものと叡智を活かし、助け合い、発展させる。
日本人ならきっとそうするし、きっとそうなると確信しています。
なんならば新しい社会の雛形すら創ってしまうんじゃないかと。

日本は世界を引っ張らなくていい、ただ「大丈夫な在り方」を体現すればいい。
上も下もない、自立分散で調和した、まさに〝和〟の体現。
それをみた世界中の人々が『それで大丈夫だ』と、『それでいいじゃないか』と知る。

『この豊かな地球で、助け合ったらいいじゃないか』と知る。

それが僕のイメージする『日本人がこれからの世界のリーダーになる』とは、そういうニュアンスです。

現状は色々あれど、この先を見据えて、日本人はこの豊かな島で本来のありようのまま活き生きたらいい。

そう感じています。

 

■ そもそも日本人は、資本主義競争むきの民族ではなかった?

個人的には[資本主義競争社会]の構図は、チームで攻め勝ち続けることで生存を維持する必要のある環境と社会…西洋的な狩猟系民族の文化や気候風土に適した仕組みだと感じています。
そこには、牽引するリーダがいて上下関係のある、現状主流である〝ヒエラルキー型〟の組織がフィットします。

しかし東洋的な農耕系文化… 海山土壌豊かで〝和を尊ぶ〟民族性を育んできた日本人には、『生きるために他者と競争し続ける』という設定やマインドが、そもそも適合しにくいのではないかと。

現代日本で引きこもりや自殺といった問題が顕在化しているのは、日本人のマインドと社会システムの間に無理が生じている… そんな見方もできるのではないかとおもいます。
そしてそれは、決して〝弱さ〟〝敗者〟として片づけるものではなく、むしろこの社会システムにモチベーションや生きがいを見出せない健全な〝違和感のサイン〟でもあるのではないかと。

そういう意味では日本と日本人は今、ひとつの限界点であり転換点に差しかかっているのだとおもいます。

ここに、近代化に向かう日本をみたミヒャエル・エンデの言葉をそえます。

『アジアの思考法がおのずと発展していった場合の結末は、ヨーロッパ思考の結末とは違うところに向かったはずです。だから日本は工業化社会に向かうにあたって、固有の文化の発展を一度断ち切らなければならなかった、そういう運命を担いました…
…従来の古い美徳観念が、近代的工業社会の原理と混ざり合ったのです。連帯意識一般や領主に対する忠誠は、今日では企業に捧げられています。しかし、これはこの先、葛藤を生むと思います。この二つは、本来相容れないものです。
これは日本で近い将来に十分ありうることですが、経済が少し傾けば、そうすればいわば全国民的な神経虚脱症を引き起こしてしまうのではないでしょうか。個々の人間が、近代工業社会の過度の要求にまいってしまうと思うのです。』(ミヒャエル・エンデ)

まさにそういうことなのではないでしょうか。

僕たちは[資本主義競争社会]の発展の渦中に当たり前のように産まれ育ち、本来あるべき大切な〝何か〟を見失ってしまっていないか?
しかし、だからこそ僕は、この先に日本人が目覚め開花する可能性を感じてもいるのです。

そして、日本人のこの独自性は、実は世界でも本当に稀な歴史と環境によって残され、育まれてきた奇跡的なものなのだと考えています。

■日本は世界最古の国家

ギネスブックに認定されている『世界最古の国家』は、なんと〝日本〟です。
文明的にも歴史的にももっと古い国は様々ありますが、〝国家〟としては崩壊・侵略などで塗り替わってきた経緯があったりするので、単一の存続としては日本が最古という認識です。

むしろ、一度も崩壊せずに存続している唯一の国となっています。

こちらの[世界史対照年表]をみると、確かにそn

世界史対照年表 世界最古の国家は日本

世界史対照年表

 

ここでは『本当に最古といえるのか?』などは重要ではありませんし、『だからこそリーダーだ』などといいたいわけでもありません。

『そのような島国に、今、私たちは生きている』というだけのことを、今こそみなで味わいたいのです。

『日本人は一度も民族としての根底を塗り替えられた原体験がない』とさえいえる。
このアジアの東端の小さな島で、転覆もなく、さして混血も進まず、独自の精神性や文化を純粋培養のように育んできたということ。
良くも悪くも『島国根性』や『ガラパゴス』などとも揶揄される日本人気質や文化の独自性は、『転覆のトラウマを持たない』という奇跡の産物でもあるのだと。

僕はそこに、ダイヤの原石のごとき可能性を感じています。

日本人の、〝愛国心〟とはまた違う部分で〝仲間〟や〝ひとつ〟のようなつ感覚を共有できている根底…まさに『和を尊ぶ』精神、
これほど自然な安定感と連帯感を醸している民族はなかなかありません。

夜の街を安心して歩けるほど世界随一の治安がよい国ですし、災害下の混乱のなかでも暴動を起こさない民族性は世界から驚きと賞賛をもってみられています。
落とした財布がそのまま警察に届けられるような国は他にありません。

このような当たり前は、実は当たり前のようにはつくれない。
本来の気質に加え、恵まれた環境と長い歴史の安定発酵の先にしか到達できない領域なのだと。

これは日本人が『偉い』とか『優秀だ』というお話ではなく、
良くも悪くも、世界にも稀な『そういう民族だ』ということ。

日本人は『世界一平和ボケができている民族』ともいえ、ある意味それが、新しい世界の扉を開くキーポイントなのではないかと。

■民族的なトラウマ

人間が幼少期に人格の礎を形成するように、歴史の基盤が民族におよぼす影響と連鎖はとても大きく、それが精神性や倫理常識・文化の礎になっているのは間違いありません。
征服や転覆の歴史的経験は民族の根底に、深層心理レベルで少なからずのトラウマを残すものだとおもいます。
例えば『ルーツは別にある』という土台の揺るぎや『いつかまた変わる』という根底の不安や刹那、『征服された』という恨みや劣等感などが深層心理レベルで根差してしまうもの。
原体験がある以上、これは仕方がないことです。

『日本が世界最古の国家』という見方は、日本人にはそういったトラウマがないという見方もできるということです。

例えばアメリカは建国250年ほどで、世界的にみれば新しい国家です。
短期間で資本主義競争グローバリズムのリーダー的な国家にまでなりましたが、まさに開拓と競争、征服と解放と統合の歴史があっての〝今〟です。
そのような経緯もあり自己防衛のために銃の所持が認められている国ですが、コロナ禍においてアメリカでは銃の売り上げが急増したそうです。
これはどういうことかというと、社会情勢の不安や混乱のなかで暴動や奪い合いがおきる懸念を民衆が感じてのこと。
アメリカでは自給自足のエコビレッジまでもが武装をはじめているそうで、これは『経済が破綻したら食糧があるところに奪いにくる』という懸念からの防衛策です。
極端な言い方をすれば、アメリカという文明大国にしてみても疑心と不安を根底に抱え『隣人すら信用できていない』ということ。

日本人にしてみれば、ありえない発想ではありませんか?

■ これからの時代

ここに、僕の好きなアインシュタインの名言をあげておきます。

『我々の直面する重要な問題はその問題を作ったときと同じ考えのレベルで解決することはできない』(アインシュタイン)

まさに、そういうことなのではないでしょうか?

僕たちはこの[資本主義競争社会]の渦中に当たり前のように産まれ育ち、その大前提のうえで未来を考え、問題解決を探る癖がついています。
その大前提が限界に達し覆るようなとき、、、そこに必要なのは対症療法ではなく、根本から違う〝何か〟かもしれない。

これから世界におこることの重要性は、これまでの歴史で積み重ねてきた常識や価値観、マインドや意識の延長上にはないのかもしれない。
強めの表現をするのならば、根本からぶっ壊れた状態から考え直し、作りなおすということ…〝スクラップ&ビルド〟が大事になるかもしれない。

競争し続けなくても、奪い合わなくても、この星で生きていけるという在り方を、ひとつの民族として体現してみせること。

『同じ土俵で戦う』のではなく、『違う土壌』を育むこと。

資本主義社会でも〝DAO〟という自立分散システムが脚光を浴びはじめているし、〝ベーシックインカム〟へむけての動きもあり、どちらにしても世界は少しづつ優しい方向へすすんでいきそうですね。

この豊かな地球で、戦い続けなくても問題がない
そういう当たり前と美しさを、世界のみなさんに先駆けでみせることができたら、それこそが『新しい時代のリーダー』ではないでしょうか。

 

 

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