子供に教えること、教わること(1)

〝#人間は意識の高い野性であろう〟というからには、子供たちへの探求は欠かせません。
まっさらに産まれてくる赤ちゃんや無垢な子供たちは、人間とはいえまさに〝野性〟そのものですから。

子供たちと本気で向き合うみなさんは口を揃えてこういいます。
『子供から学ぶこと』は本当に多いです。

僕にも7歳になる娘がいます。(2020年現在)
余談ですが…いや、本筋ともいえますが、娘の名は[アリ]としました。
『ありのまま』でいてほしくて、そして『なんでもあり』な人間であってほしくて。
「『なんでもあり』でいいんですか!?」 と驚かれることも多いのですが、それでいいんです。色付けや決めつけなく、全てをフラットに受け入れ見極めてほしい…そうしたところでいち人間としては、魂レベルで導かれるものはひとつですから。

娘、アリは大自然に囲まれたお山のうえ、〝エコビレッジ サイハテ〟の自宅出産で産まれ、スクスクと育っています。
僕も出産に立ち会いヘソの緒を切りましたが、出産の現場もまさに〝野性〟そのものでしたよ。

 

さて、僕の立ち上げた〝サイハテ村〟は現在1万坪に30人ほどの住人たちが暮らしていて、9人の子供たちがいます。
サイハテ村にはルールやリーダーという設定はなく、合言葉は〝#お好きにどうぞ〟というコミュニティですので、当然ながら子供たちにもその気風は浸透しています。

僕は大人たちにそうであるように、子供たちにも〝#お好きにどうぞ〟で接しています。
ですから、コントロールしたいときには頭ごなしに「ダメ!」ということはありません。
僕が伝える意思は「イヤ」です。
つまり僕という人間が『それはイヤだ』という意思表示をすることからはじめます。子供たちが僕に少しでも好意やリスペクトを感じてくれているならば、それを尊重してくれるはずですから。
なによりもうひとつ、僕には子供たちに何ひとつ『ダメ』な理由をちゃんと説明出来たためしがない、ということもあります。
子供たちはなにかにつけて「何で?」と聞いてくることが多いものですが、「何で人を殺したらダメなの?」にすら僕にはきちんと説明できたためしがないのです。

しかし分別を知らない子供の場合、『ダメ!』と強制的に抑止しないといけないリスク…命の危険さえも考えられます。
例えば危険な崖に近づいたり、毒虫を手に取るようなことがあるかもしれません。
だからこそ僕は、娘の成長とともに〝#人間の野性〟を丹念に観察し続けてきました。

 

僕は定職つかずのパパなので、娘が産まれてからというものずっとべったり一緒に暮らし、世界各国へ旅などもしてきました。
そんななかで無垢な生命が成長していくさまを、野性動物という視点からもずっと観察し続けてきたのです。

例えば娘が生後数ヶ月でハイハイで動きはじめると、落ちたら危ない段差へむかっていくようなことがあります。
僕はドキドキしながらそれを見守るのですが…大抵の場合、落ちずにきちんと止まるんですね。さほど高くない段差だとクルっとむきをかえ、足が届くか品定めしたりもします。
つまり、人間は何も教えなくても高所に恐怖を感じ対処する本能があるということですよね。

さらには、ライオンが怒っている写真などをみれば「こわい」となりますし、毒々しい毛虫などをみれば「きもちわるい」となります。
楽しい音楽が流れれば踊り出し、怖い音楽が流れれば怖そうになります。

これ、当たり前なようで凄いことじゃありませんか?  教えなくても、本能でそう感じるということです。

野性動物たちも基本的にはそうですよね、教えなくても高所から飛び降りて死んだりしませんし、肉食獣を恐れ逃げだします。

そのような様々な実証体験を経て、僕は『人間にも基本的な生存本能が備わっている』と確信し、安心しました。
むしろ子供のころから過保護すぎると、そういう本能がマヒしたり抑圧されるという懸念すら感じています。

ちなみにこの話をすると、特に男の子の親は「うちの子は全然無理、すぐ死ぬわ」という意見も多いです。
本能部分にも当然ながら性別差・個体差もあるのでしょうが、確かに男の子は……無茶苦茶ですよね。
男というのはガサツで無鉄砲で…マンモスを狩りにいき、海の向こうの島を目指す….…そういうお役目の生き物なのかもしれません。
攻めと守りのバランス…だからこそ人類は絶滅せずにこれたのでしょう(これは僕の『男は捨て駒論』に通じていきますので、詳しくは〝#野性の人間 男女論〟をお楽しみに)。

  

 さて、野性から理性へ…人間の子供は2歳ぐらいになると〝言葉〟というものをしゃべりだします。
『まま』『ぱぱ』など身近で簡潔、必要性のある言葉から覚えだしますよね。

ある日、アリが『きれい』という言葉を覚えました。
『きれい』という概念を認識したということですが、そしたらどうでしょう…道端の花、幾何学模様、芸術的な絵、サイケデリックな映像、晴れた日の海を見下ろす景色…そういうものをまのあたりにするたびに『きれい』というようになったのです。

僕は驚愕しました。
『きれい』は誰かから教えられるものではなく、内側からにじみでる感情である! と。
誰かから「これはきれいだ」と教わり認識するわけではなく、自ずとわきあがる感情なんだ! と。
当たり前すぎることですが、改めてそれを知り、とても感慨深いものがありました。

そして個性や幅はあれど、世界人類共通の『きれい』が確かに存在することに改めて気付けたわけです。
僕はデザイナーでもありアーティストでもありますので、クリエイターとしてそれらの本質はとても勉強になるものです。

そして『きれい』に限らず、すべての言葉には〝感情〟がともなっていることを再認識できたわけです。

それについては、こういう再発見もあります。

娘と[ままごと]や[ごっこあそび]をするんですが、パパが人形に名前をつけるときに[ドベちゃん]や[ゲスちゃん]などと名付けると絶対に「いやっ!」となるんですね、[モモちゃん]や「マロンちゃん」などだとよろこんでかわいがります。
これも凄いことじゃないですか!?
[ドベ]や[ゲス]という響きのイメージに、生理的な嫌悪感があるということです。

確かに世界の〝言葉〟をみわたすと、聖なるものにはそれなりの、下世話なものにもそれなりの〝音〟が当てはめられていることに気づきます。
〝言葉の意味と、意味のなさ〟でも述べましたが、〝言葉〟にはそれぞれ誕生の瞬間があり、それは遠い昔…それを発した野性的な人間の情感の発音であり、他者との共感により定着するわけですもんね。

言葉には共感・共有されるべく本質、〝意味〟そのものが宿っていることを再認識できたわけです。

 

〝子供〟…まっさらな人間…付き合えば付き合うほどに本質を味わせてくれ、実にシンプルで奥深いものです。

まさに

『子供から学ぶこと』は多いのです!

   

 

さらには〝オトナ〟と〝コドモ〟の明確な境界線なんてのはない! というのがまた興味深いことです。
日本の法律では20歳以上を〝成人〟とみなしますが、そこを境に意識や身体が切り替わるわけではないですもんね。

ということは…僕らはどこかで〝オトナ〟になっているし、実は〝コドモ〟のままともいうことです。

娘とはいつも〝ママゴト〟や〝ごっこ遊び〟をしていますが、イメージ力を総動員して自分を演じるのは〝大人〟も〝子供〟もなく、楽しくもクリエイティブなことです。
そうしてみると、実は大人の社会的な活動も〝ごっこ遊び〟の延長でしかないということにも気づかされます。
[社長][サラリーマン][警察][販売員][アーティスト][父・母]など…社会的なルール設定に準じて、ある意味それらを日々〝演じて〟いるともいえるでしょう?
[会社]も[国家]もある意味で集団幻想の〝設定〟ですから、みんなで『会社ごっこ』『国家ごっこ』をやっているともいえるわけで。

人間はなんてクリエイティブな野性動物なんでしょうか!!!

 

そうやって人間は環境に育まれつつ〝大人〟になっていき…逆にいえば『人間は環境が全て』とさえいえる気もしています。

僕の娘にしてみても、ママと一緒にいるときに巨大なクモをみつけると「きもちわるい!」となるかとおもえば…パパとふたりのときは平気でガシっとつかんだりもします。
環境や空気感によって気質まで変わってしまうんです。

熊本の大震災時も興味深いことがありました。
あの時は1ヶ月間連日地震が続き、サイハテ村でも大人も子供も不安と疲弊がみてとれました。
地震がおこるたびに子供たちが怯えるもので、あるとき僕は「なんだ、いまの地震ちいさかったな~ もっと大きいのこいよっ!!!」と叫んでみたんです…そうしたら子供たちは「もっとおおきいのこい!」と盛り上がりだすじゃないですか。
それからというもの、子供たちの地震へ対する感情が少し変わったものです。

同じモノゴトに対しても、その時々の空気感によって受け取り方がガラっと変わる…こういうことはみなさんもピンとくるでしょう?

そうして僕は『空気感づくり』の重要性を改めて教えてもらうのです。

しかしそうやって考えると…先にいった〝ドベちゃん〟〝ゲスちゃん〟に娘が拒絶感を覚えたのも、僕が面白がって実験していた〝空気感〟をうけてのことかもしれないですよね。
卵が先か鶏が先か…みたいなもので、もうほんと、わかりません。

 

そのようなわけで〝子供〟は〝大人〟たちの提供する環境や空気感…〝世界観〟こそが大切なんだと身を持って感じています。
子供たちの〝常識〟の起点やガイドラインは、まわりにいる大人たちにより代々受け継がれてきているのですから。

かといって大人たちも成長の過程にあり、完璧であるはずもなく…その善し悪しがあってこそ、子供たちが気付き築ける成長もあることでしょう。
無責任な親をみて責任感が強い子供が育ち、真面目カタブツな親をみて自由を求める子供が育つというような…親を反面教師として成長する例はよくありますよね。

その親も自分の親を鑑みて成長を経てきたので…そうやって人類は着々とアップデートを重ねてきているのは間違いないです。

僕がいくら『我が子の幸せ』や『子供たちのため』などと押し付けたところで、所詮は僕の器の範疇…どのみち子供たちはそれを超えていくことでしょう、、、だからもはや僕には、自分にも子供たちにも(みんなにも)『死ぬときに思い返して満足な人生ならいい』というくらいしかガイドラインがありません。

いくら頑張ったところで、僕は僕の世界観で到達できる領域までしか提供できませんから、あとは『#お好きにどうぞ』………我が子に『なんでもあり』な人間になってほしくて〝アリ〟と名付けたほどに、です。

 

そんなわけで、僕は、娘がちょっと羨ましくすらあります。
僕は僕なりに何十年もかけて自分の人生のありかたを模索し続けてきたわけですが、僕の娘はいきなりその領域からスタートできるわけですから。
例えば僕は人生を賭けたレベルで〝エコビレッジ サイハテ〟を創ったわけですが、それは結局〝エコビレッジ 〟〝田舎暮らし〟〝コミュニティー〟〝パーマカルチャー〟〝アースバッグハウス〟などに憧れや幻想を引きずってのことなんです。
エコビレッジで産まれ育つアリにとっては、はじめからそれらが当たり前にあり、むしろ『どうでもいい』わけで…その時点ですでにパパを超えてきてるわけです。

『ずるい!』ですよね、そしてもちろん嬉しくもあります。

 

その視点から世界のエコビレッジをみても面白いですよ。

世界中にはヒッピーとよばれる人間たちがいて、それは資本主義競争社会システムに疑問を感じ、その枠にとらわれないライフスタイルを模索・実践するひとたちといえます。
ヒッピーレジェンドの子供たちは、たいがい都会やビジネスに憧れ、そちらの世界にむかっていくのが定番です。
ヒッピーはエコビレッジムーブメントとも並走する文化であり、世界中には30~40年を経て桃源郷のごとき熟成をみせたコミュニティはたくさんありますが、そんな歴史あるエコビレッジの悩みのひとつは『次世代が住み着かない』ことだったりします。

当たり前ですよね…人間の欲は『無い』ものに対して発動するわけで、『無い物ねだり』な生き物なんですから。

産まれたときから自給自足の桃源郷にいたら、もっと他の『何か』に憧れるものでしょう?

どんなに頑張っても僕ら大人にできることは、『選択肢』の提供ぐらいなことなのかもしれません。

 

最後に、〝子供〟ができたことによる僕自身の意外な『野性的発見』をお伝えします。

僕は子供が産まれたことにより、人生がとても気楽になりました。

生命を紡ぐ…〝子孫繁栄〟が生物としてのひとつの目的とするならば、まさにひとつ達成したという感覚でしょうか? そんな安堵感があるんです。
子供が[いる/いない]は、[オン/オフ]でいうなら計り知れないスイッチなのかもしれません、人生においてそれほどの大きな節目はないというレベルで。
『自分のDNAが引き継がれた』ということですからね。

だからこそ、いち人間としても、自分の子孫こそが自分の集大成となる〝作品〟といえるのは間違いないと感じています。

そのようなわけで、僕は〝子育て〟を万人にオススメします。

 

 

ですから、多くの親たちが『子育ては大変』で『自分の時間がなくなる』というような表現をするのがちょっと歯痒くもあります。
なぜなら僕は、『子育ての大変さこそが〝自分の時間〟では?』とすら想ってしまうので。
子供たち、子孫たちこそが自分の未来…然るに自分そのものとすら感じているので、それと向き合い育むことは〝自分の時間〟そのものである! と。
一般的には〝自分の時間〟といったところで、挙げてみるならば[本を読む][映画をみる][ゲームをする]などだったりするじゃないですか?
それらも尊い時間ではありますが、『子育ては大変』ということ自体が『自分の人生の尊さ』の大部分であるのじゃないかと。
もちろん、子供たちが一人前に成長したら、あとは〝#お好きにどうぞ〟ですけど、ね。

 

そういった意味では、仏陀やキリストが『子供を育てた』という伝承がないのはちょっと歯痒くもあります。
仏陀においては『子育てなどから逃避することで悟りに至った』ともとれる人生が伝えられています。
彼らの云うことはすごく好きで、共感も多いんですが、、、『子育て』という人生の醍醐味も味わっていたならば、より深みある領域を提案できたのでは? と。
それこそ『子育ては大変』ですから、それをしなかったことでの純度や強さもあるのでしょうけれど。

 

それにしても、最近の子供たち・若者たちの意識レベルのアップデートぶりは目を見張ります。
僕みたいな昭和世代と比べると、新人類やニュータイプとよびたくなるほどです。
やはり脈々と生命は紡がれ、叡智や経験も積み重ねられ、人類は全体として成長を続けているんだなぁ…と、感動せずにはいられません。

「僕は僕なりにやれることをやって、あとは子供たちにまかせりゃいいや!」と、そんな気分にすらなっています。

 

そのようなわけで、〝子育て〟はいいものですよ。

万人にオススメします!

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※ 偉そうなこといって、結局その集大成の成果は、我が娘 ありが現在進行形で体現してくれているということでしかないですよね。
実際に僕は、毎日のように娘から『大きな学び』をいただいている最中です。

彼女の生き様をFacebookに記録してきましたので、興味ありましたらのぞいてみてくださいね!

◉工藤あり(https://www.facebook.com/kudo.ari1023)

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↓工藤シンクの子育て、新たな気付き、その2はこちら

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